東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)50号 判決 1967年6月27日
原告 ロンソン・プロダクツ・リミテツド
被告 特許庁長官
主文
特許庁が、昭和三六年一二月一二日、昭和三五年抗告審判第二八二四号事件についてした審決を取り消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨
主文同旨の判決を求める。
第二請求の原因
一 (特許庁における手続の経緯)
原告は、特許庁に対し、昭和三二年三月六日、これより先原告が一九五六年(昭和三一年)三月六日英国においてした特許出願にもとづき優先権を主張し、名称を「ライターに関する改良」とする発明について特許出願をした(昭和三二年特許願第五二七六号事件)ところ、昭和三四年二月一〇日、拒絶査定を受けたので、同年七月九日、旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号)第五条の規定により名称を「ライター」とする実用新案登録出願に変更し(昭和三四年実用新案登録願第四〇二八一号事件)、昭和三五年五月一六日、この出願について、さらに、拒絶査定を受けたので、これを不服とし、同年一〇月二〇日、抗告審判を請求した(昭和三五年抗告審判第二八二四号事件)が、昭和三六年一二月一二日、右抗告審判の請求は成り立たない旨の審決を受け、同審決の謄本は、同月二一日原告に送達され、同審決に対する出訴期間は、昭和三七年四月二〇日までとされた。
二 (本願実用新案の要旨)
燃料室と、前記燃料室に組み合わされて燃料の充填または再充填の目的のために燃料を前記燃料室へ流通進入させる逆止入口弁と、燃料の充填または再充填の操作の間燃料室を大気に通気するための、前記入口弁とは別の弁とを有する、常温常圧でガス状の燃料を使用する喫煙者用ライター(別紙第一図面参照)。
三 (本件審決の理由の要旨)
本願実用新案の要旨は、前項のとおり認められるところ、昭和四年実用新案出願公告第九、〇四九号公報には、薬液を薬液室に流入充填させる入口と薬液を薬液室に流入充填させる間薬液室を大気に通ずる前記入口とは別の通気口を備えた噴霧器(以下引用例という。)が示されている。本願実用新案と引用例とを比較すると、(1)本願実用新案はライターであるのに対し、引用例は噴霧器である点、(2)本願実用新案は燃料室(引用例の薬液室に相当する。)の燃料充填用の入口および大気に通ずる通気口にそれぞれ逆止弁を備えているのに対し、引用例はこれを欠如している点に差異あるにすぎず、その他の点においては、両者は、全く同一構造である。しかしながら、(1)の差異は、噴霧器における技術を単にライターに転用したにすぎず、考案とは認められない。また、ライターの燃料室の液化ガスを充填すべき入口にガスが外部に洩れないように逆止弁を設けたものは、本願実用新案出願前きわめて普通に知られており(例えば、特公昭三〇―二三三一号公報または特公昭三〇―二三三四号公報参照。以下参照例という。)、入口のみならず通気口にも、ガスが外部にもれないように逆止弁を設けることは、当業者の容易に想到できるものと認められるので、本願実用新案について(2)のようにした点にも考案が認められない。結局、本願実用新案は、引用例を単にライターに利用したものに帰するから、本件に適用のある旧実用新案法(大正一〇年法律第九七号)第一条にいう考案とはいえず、登録要件を具備しない。
四 (審決の違法)
本件審決には、つぎの点において違法があるから、取り消されるべきものである。
(一) 審決は、本願実用新案が喫煙者用ライターなる特定の物品に関する考案であるにもかかわらず、これと全く別種の物品である噴霧器に関する引用例をもつて、本願実用新案について考案の存在を否定したが、これは、旧実用新案法第一条にいう「物品に関し」の解釈を誤つた違法のものである。喫煙者用ライターなる物品について、本願実用新案の出願前、本願実用新案またはこれに類する考案が存するとすれば、これを示すべきである。
(二) 引用例は、噴霧器に関し、その構造(別紙第二図面参照)は、外壜aの上部の上部に蓋cによつて覆いうるように設けた座bの面に、下端が壜内所要液面に達する排気管dと、漏斗gの下端部を挿入しうる注入口eを並べて設けたものであつて、壜a内に液を注入する場合、漏斗gの脚管にパツキングhをはめて、座bの注入口eに挿入して液の注入を行い、液面が排気管dの下端に達して空気の逃路がなくなつて液の注入が止つた時に、漏斗gを引き抜き、漏斗内の残液を壜内に流下させるものである。引用例は、噴霧器において、常温常圧で液状である液体を注入する構造に関し、したがつて、注入口eにも、排気管dにも、壜内部と外気とを遮断するための弁を必要としないし、また、事実上も何らの弁を具えておらず、注入口と排気口とは、ともに単なる口である。しかも、引用例においては、注入口eと排気管dとが単一のねじ蓋cによつて人為的に同時に塞がれる構造をとつている。
一方、本願実用新案は、常温常圧においてはガス状になるが、これが圧力を加えられて液体になつた状態で容器内に収容されている燃料を、その液体状態のまま、低い圧力になつている燃料室内に供給するための装置の構造に関する。したがつて、引用例のように常温常圧において液状である液体を取り扱う噴霧器の構造を、本願実用新案のライターにたやすく転用しうるものではなく、特別の工夫を要することは当然である。本願実用新案は、右特殊の燃料をライターの燃料室に充填または再充填するために、燃料室壁に逆止入口弁を設けるとともに、この弁とは別に弁(この弁は、大気以上の内圧によつて常時閉じるようにし、また、外部からの圧力によつても開きうるようにされている。)を設けて、この第二の弁を開くことにより、燃料室への燃料の充填中、燃料室を大気に連通させ、燃料供給用容器内部とライターの燃料室内部との圧力差を有効適切にし、ライターの燃料室への燃料充填を容易かつ迅速にしうるようにしたものである。
したがつて、本願実用新案のライターは、引用例の噴霧器とは、その液体を注入すること自体の性質を全く異にし、ひいて、注入のための構造および作用効果も明らかに異なる。本件審決が引用例をもつて本願実用新案の考案力を否定したのは判断を誤つたものである。
(三) 審決が、ライターの燃料室の液化ガスを充填すべき入口にガスが外部にもれ出ないように逆上弁を設けたものは、本願実用新案出願前きわめて普通に知られており、右入口のみならず通気口にもガスが外部にもれ出ないように逆止弁を設けることは、当業者の容易に想到しうるものと認められるとしたのは、何ら明確な根拠なく、常温常圧においてガス状である燃料を充填するにあたり、逆止入口弁のほかに別個の通気弁を設けることによつて、これを容易確実に行いうる本願実用新案の考案力を否定したものであつて、理由不備である。
本願実用新案は、その説明書に明らかなとおり、審決の参照例(乙第二、三号証)のライターがもつていた種々の欠点を改良したものであり、それは、燃料の充填または再充填の操作の間燃料室を大気に連通させるための弁、すなわち、大気圧以上の内圧によつて常時閉じているが、外部からの圧力によつて開きうる弁を設けることによつてされた。このように、本願実用新案は、新たな技術的要素を付加し、これにより燃料充填上これまでにみられない特段の便益を収めるのであるから、たとえ引用例と構造上一致する部分があるとしても、これをもつて、旧実用新案法第一条にいう考案を構成しないとするのは誤りである。
(四) (被告の主張について)
被告の主張は、本件に適用のある旧実用新案法が、発明の場合と異なつて、実用新案の対象を物品の型の考案としている法意を誤解したものである。
また、乙第一号証の実用新案は、「図画用水筒の構造にかかり、これに収用される物が常温常圧で液体であるのに対し、本願実用新案のライターの収容物は常温常圧でガス状であり、通気口の弁は大気圧以上の内圧によつて常時閉じるようになつているのであるから、両者は、たがいに構造および作用効果を異にする。乙第二、三号証は、本願実用新案出願の拒絶理由として、出願人である原告に示されたことのないものであるから、これをもつて右出願を拒絶することは許されない。乙第四号証の実用新案は、本願実用新案のライターとは物品を異にする防腐容器に関し、その容器の弁は、容器の内圧が大気圧以上になれば開放する構造のものであり、本願実用新案の弁とは、構造、ひいて作用効果が異なる。いずれも、本願実用新案の考案力を否定する資料とするに足りない。
第三被告の答弁
一 「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求める。
二 原告主張の請求原因第一項ないし第三項の事実は認めるが、第四項の点は争う。
(一) 審決は、引用例として、昭和四年実用新案出願公告第九〇四九号公報記載の噴霧器を示したが、このように液体を密閉室に注入口を経て注入するに際し、密閉室内の空気を大気中に排出するための通気口を設け、液体を円滑に流入させようとする構想は、すずり箱中の水差し等で、日常きわめて普通に知られており、また、液体流入後、その注入口と通気口とを密閉閉塞するという技術手段も、右噴霧器のほか、例示をまつまでもなく公知である(例・乙第一号証)。一般に、一定の工業技術に関係ある技術者が、その有する知識、経験および公知手段を適宜選択応用して、その者の従事する技術分野の課題を解決しようとすることは、当然である。本願実用新案のライターの燃料室と引用例の噴霧器の薬液室とは、物品こそ相違しているが、ともに液体の密閉貯蔵室という点で一致しているから、引用例の注入口のほかに通気口を設けるという公知手段を本願実用新案のライターに転用することは容易であり、まして、右の手段は、噴霧器のみならず、水差しその他の液体密閉貯蔵器において、きわめて普通に知られた手段であることを考え合わせれば、その転用は一層容易といえる(旧実用新案法により処理されるべき実用新案出願も、現行実用新案法により処理されるべき実用新案出願も、審理の対象となるものは、等しく考案であつて、単なる物品の型ではない。)。また、本願実用新案の説明書によれば、本願実用新案は、これより先に提案されていた、燃料室の内部がその充填操作の間大気に通気するような構造の複雑な入口弁を具えたライターを改良し、入口弁とは別に独立して通気弁を設けたものであることが説明されている。とすれば、このすでに提案されている燃料室の注入口に燃料を注入する際燃料室内と大気とを通ずるようにしたライターを、本願実用新案のように改良することは、従来注入口と別に通気口を設けた噴霧器における薬液槽等の液体密閉貯蔵器が公知である以上、きわめて容易に考えうることであり、考案を構成しない。
(二) また、注入口と通気口とを閉塞するにあたり、引用例においては蓋を使用しているが、本願実用新案においては逆止弁を用いている。燃料の注入口を逆止弁で閉塞しているガスライターが従来普通に知られている以上(審決の参照例・乙第二、三号証。なお、これらは、本願実用新案の説明書中、従来公知のライターとして説明されているものの存在を裏付けたものにすぎない。)、本願実用新案におけるように、注入口と同様に通気口をも逆止弁で閉塞することも、きわめて容易であつて、審決がこの点についても考案が認められないとしたのは当然である(なお、本願実用新案出願前の刊行物である乙第四号証にも、防腐容器の弁体(14)(入口弁)および弁体(12)(通気弁)が示されている。)。
第四証拠関係<省略>
理由
一 特許庁における本件審査、審判手続、本願実用新案の要旨および本件審決の理由の要旨についての請求原因第一項ないし第三項の事実は、すべて、当事者間に争いがない。
二 当事者間に争いのない本願実用新案の要旨は、「燃料室と、前記燃料室に組み合わせて燃料の充填または再充填の目的のために燃料を前記燃料室へ流通進入させる逆止入口弁と、燃料の充填または再充填の操作の間燃料室を大気に通気するための、前記入口弁とは別の弁を有する、常温常圧でガス状の燃料を使用する喫煙者用ライター」にあるが、成立に争いのない甲第八号証(本願実用新案の説明書)の記載に徴すれば、本願実用新案は、燃料室にその点火用気化燃料放出口とは別に(本願実用新案のライターが、常温常圧でガス状の液体燃料を使用する喫煙者用ライターとされているところから、当然具備すべき要件と解する。)、逆止弁(逆止入口弁)のある燃料充填口とこの充填口とは別の逆止弁のある通気口とを設けたことを、構成上の必須要件としているものと解される。そして、右争いのない事実と前掲甲第八号証とによれば、本願実用新案の作用は、圧力の下で液状である燃料を燃料室内に充填または再充填する場合、充填口を開いて逆止弁を開き、燃料を燃料室内に流入させると同時に、通気口の逆止弁を開き燃料室を大気に連通させることにあり、ひいて、燃料室内の燃料が増加しても、その増加分だけ、燃料室内気化物は大気中に押し出され、充填が終れば、右二つの弁が閉ざされるから、燃料室内のガスの圧力は変らず、その結果、燃料室内のガスの圧力が強くなりすぎることがなく、過熱による爆発の危険を防ぐことができ、バーナー弁の効率を害せず、密閉室内に高圧液化ガス燃料を簡単で費用のかからない方法により充填または再充填することができることが認められる。
一方、成立に争いのない甲第一〇号証によれば、引用例は、本願実用新案の出願日(昭和三一年三月六日)前の日である昭和四年八月八日出願公告された実用新案公報記載の噴務器に関し、壜の上部の座面に、下端が壜内の所要液面に達する排気管と注入口とを並べて設け、この注入口に、漏斗をその下端外周にパツキングを装嵌して挿入した構造のものであり、その作用効果は、漏斗の下端部外周にパツキングを装嵌して注入口に挿入して液の注入を行い、液面が排気管の下端に達し、空気の逃路がなくなると、液の注入が停止し、このとき、漏斗を上方に引き抜くことにより、空気はここに逃路を得、漏斗内の残液をそのまま壜内に流下させうることにあることが認められる。
本願実用新案を引用例と対比すると、本願実用新案はガラスイターに関し、引用例は噴務器に関するから、両者は、全く別異の物品を対象とするものであり、ただ密閉室内に注入口を経て液体を充填するに当り、充填口のほかに、密閉室を大気に通ぜしめる他の口を設けること、これにより、密閉室内の気体の圧力のため液体の注入充填が妨げられないようにすることの一般的構想において一致するとはいえ、この構想を右物品に適用し、本願実用新案においては、充填口とこれとは別に設けた通気口との二つの口に、引用例の有しない逆止弁をそれぞれ備えしめた具体的構造とすることにより、前示のとおりの特段の作用効果を収めるものであることが明らかである。
被告は、ライターの燃料室の液化ガス充填口にガスもれ防止の逆止弁を設けることは、本願実用新案出願前きわめて普通に知られていたとして、乙第二、三号証(参照例)を挙示するけれども、抗告審判手続において原告に対しこれらについて意見陳述の機会を与うべきか否かの点はしばらくおき、これらは、いずれも、本願実用新案が構成上の必須要件とする逆止弁つき通気口を有せず、ただ、バーナーに通ずる口のほか、逆止弁つき燃料液(高圧液化ガス)充填口を具えるだけであり、本願実用新案のライターとは、構造のみならず、作用効果も異なることが明らかである。また、被告は、逆止弁つき注入口と逆止弁つき通気口とを有する防腐容器が、本願実用新案出願前、乙第四号証によつて公知であつたと指摘するけれども、成立に争いのない乙第四号証によれば、右防腐容器は、密閉容器の蓋体に二つの口を設け、一方の口には減圧用排出弁装置を、他方の口には減圧用水蒸気圧入弁装置をそれぞれ設けたものであつて、密閉容器内の空気を除去するため水蒸気圧入弁装置のある口の弁を開いておき、これに水蒸気導入用ゴム管を被嵌して水蒸気を圧入すると、容器内の空気は水蒸気に押されて螺旋発条の力に抗して弁を開き、容器外に出て行き、容器内は殺菌された減圧状態になるものであることが認められ、したがつて、本願実用新案とは物品を全く異にするのみならず、その使用時における容器内の圧力関係は、本願実用新案においては内部は高く外部は低いのに、右防腐容器においては、反対に内部は低く外部はが高く、これは、容器内に注入する物体が本願実用新案では高圧液化ガスであるのに対し、他方では水蒸気であるとの相違にもとづくものであり、かつ、本願実用新案においては容器から点火に必要なガスを必要に応じ取り出しうるのに、他方はこのようなものではないとの差異があり、両者は、作用効果をも全く異にしていることが明らかである。
以上のほか本件にあらわれた資料についていずれの点から検討してみても、本願実用新案の要件をすべて具えたライターがないのはもちろん、せいぜい、前示一般的構想において一致するか、物品を全く異にし、あるいは部分的構造において一部一致するにすぎないものが存するにとどまり、さらに、効果の点にいたつては、いずれも、本願実用新案のライターが収める前示効果を奏するものとは認めえないから、結局、本願実用新案は、審決が示した引用例その他から容易に推考しうるものとすることはできないといわざるをえない。
三 右のとおりであるから、本願実用新案をもつて、引用例を単にライターに利用したものに帰し旧実用新案法第一条の考案を構成しないとした本件審決は、その点において判断を誤つた違法のものというべく、したがつて、その取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 三宅正雄 影山勇 荒木秀一)
別紙第一
本願実用新案によるライターの断面側面図<省略>
別紙第二
昭和四年実用新案出願公告第九〇四九号公報にかゝる引用例の噴霧器の一部側面図および拡大図<省略>